【情熱の大地と香りの種】ブラジルにコーヒーがやってきた日──世界一への始まり【ティアレ珈琲紀行】

ブラジルにコーヒーがやってきた 珈琲紀行

珈琲豆やティアレ~手しごとのあるお店~と申します。気軽に「ティアレ」とお呼びください。
自家焙煎したコーヒー豆を中心に、ドリップバック等を販売しています。
ブレンドや、シングルオリジンのコーヒーなど、焙煎器「珈悦」で焙煎したコーヒー豆を販売しています。
また、アートフラワーを中心としたハンドメイドもやってます。
珈琲豆やティアレ~手しごとのあるお店~

太陽が照りつける赤土の大地。
そこにひと粒の“種”がまかれたとき、まだ誰も知らなかった。
それが世界のコーヒー地図を塗り替える“革命の一滴”になることを──。

こんにちは。珈琲豆やティアレのブログへようこそ☕
今回は、私たちが日々楽しんでいるコーヒーの歴史ロマンに触れる旅へ出かけましょう。
舞台は――情熱の国ブラジル


🌱 すべては“密命”から始まった?──1727年、運命の年

ブラジルにコーヒーがやってきたのは1727年
当時、まだポルトガル領だったブラジルは、コーヒー大国とはほど遠い存在。
でも、その運命を大きく動かした一人の男がいました。

彼の名は──
フランシスコ・デ・メロ・パレータ(Francisco de Melo Palheta)

このポルトガルの軍人は、隣国フランス領ギアナ(現在のフランス領ギアナ)へ“外交使節”として派遣されます。
その本当の目的はただひとつ
フランスの持つコーヒーの苗木を、何としてでもブラジルへ持ち帰ること」。

当時、コーヒーは高級作物。
その種子や苗木の移動は厳しく管理され、他国への持ち出しはご法度でした。
でもパレータはあきらめません。


💋「愛」と「策略」のスパイスで、コーヒーの木は国境を越えた

なんと彼は、フランス総督の“妻”にアプローチ。
その魅力と情熱で彼女の心を射止め、
帰国の際、こっそりと“花束の中にコーヒーの苗木”を忍ばせて持ち帰ったと言われています。

…まるで歴史小説の一節のようですが、これは実際に伝えられているエピソード。
コーヒーは、愛と冒険の果てに、ブラジルの土を踏んだのです。


🌄 コーヒーの樹が育ち、やがて大地を覆う

それから数十年。
持ち帰られた苗木はブラジルの気候と土壌に見事に適応し、
19世紀になる頃には、爆発的な拡大を遂げます。

特にミナスジェライス州、サンパウロ州、リオ・デ・ジャネイロ州では大農園(ファゼンダ)が次々と誕生。
奴隷制や鉄道整備など、光と影が交錯する中、ブラジルは世界最大のコーヒー生産国へと成長していきます。

そして現在──
世界で飲まれるコーヒーの約3分の1は、ブラジルで生まれているのです。


☕ コーヒーが繋ぐ、過去と今と、私たちの一杯

朝の静かな時間に淹れる一杯。
友人とのおしゃべりに添える一杯。
仕事の合間に深呼吸する一杯。

そのどれもが、
1727年、ひとりの男の「想い」と「使命」から始まった物語の続き。

私たちが手にするコーヒーの中には、
遠く離れた時空を越えて届いた、情熱と歴史の香りが詰まっているのです。


🔚 まとめ:情熱と香りの大地、ブラジルから

  • 1727年、密命を帯びた軍人がコーヒーの苗をブラジルへ
  • 恋と策略でコーヒーは国境を越えた
  • 豊かな気候と広大な農地で、世界最大の生産国に
  • 今も私たちの暮らしを支える“一杯の始まり”はここにある

次にブラジルのコーヒーを口にしたとき、
少しだけ思い出してみてください。
ひと粒の種が国境を越えて歩んだ、ロマンに満ちた旅路を。

それではまた、次の豆語りで

プロフィール
この記事を書いた人
ありさんと ありんこ

コーヒー大好きなありさんとありんこが
コーヒーと自家焙煎珈琲の魅力をゆるーく紹介します。
たまにコーヒー店めぐりをしたり。
手しごとは
ありんこがアートフラワーの魅力を
ありさんがクラフトバンドの魅力を
それぞれ紹介する
そんなブログです。

ティアレをフォローする
珈琲紀行
シェアする
ティアレをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました