遥かなる冷滴——ダッチコーヒーが生まれた物語【ティアレの珈琲紀行】

遥かなる冷滴 コーヒー

こんにちは、ティアレです🌺
今日はちょっと特別な旅にご案内します。
舞台は17世紀、帆船が大海を渡っていた時代。灼熱の南洋に降る、一滴の冷たい夢——それが「ダッチコーヒー」の始まりです。

珈琲豆やティアレ~手しごとのあるお店~と申します。気軽に「ティアレ」とお呼びください。
自家焙煎したコーヒー豆を中心に、ドリップバック等を販売しています。
ブレンドや、シングルオリジンのコーヒーなど、焙煎器「珈悦」で焙煎したコーヒー豆を販売しています。
また、アートフラワーを中心としたハンドメイドもやってます。
珈琲豆やティアレ~手しごとのあるお店~


🌍 物語の始まりはインドネシア——ジャワ島

17世紀の東インド。オランダ東インド会社(VOC)の船乗りたちは、赤道直下のインドネシア・ジャワ島に上陸していました。

彼らの目的はただ一つ。
「黄金よりも香り高い豆」——コーヒーです。

当時、コーヒーはイエメンのモカ港からしか手に入らない貴重な飲み物。
そのアラビカ種の苗木を密かに持ち出し、ジャワ島に植えたことから、物語は動き始めました。


🫘 最初のコーヒー豆はアラビカ——モカの記憶を胸に

ジャワ島で最初に実ったのは、イエメン由来のアラビカ種
焙煎すると、どこかモカのような甘い香りと優しい酸味が漂いました。

けれど、ジャワの昼は灼熱地獄
火を使ってコーヒーを淹れるなど、もってのほか。
そこで彼らが考え出したのが、水で、ゆっくり、滴らせる抽出法——

そう、これが「ダッチコーヒー(滴下式水出しコーヒー)」のはじまりでした。


🏺 最初のダッチ器具は、理科器具でもガラスでもなかった

当時の器具は、今のようなスタイリッシュなガラス製ドリッパーではありません。

  • 氷水を入れた素焼きの壺
  • 竹筒や布で作られた滴下装置
  • コーヒー粉は布に包んで木枠で支え
  • 抽出されたコーヒーは陶器の壺へ静かに滴っていく…

それは実験装置のようでありながら、工芸品のような味わい深さがありました。
何時間もかけて落ちる水の音は、まるで波のしずく。
遠い海を旅した人々の、静かな営みの中で生まれた手仕事でした。


🧊 なぜ冷たくしたのか?それは、生き延びるため

この時代、コーヒーは「温かい飲み物」としての文化をまだ持ちませんでした。
赤道直下の植民地で、加熱せずに飲む工夫は、
日射病、火事、労力を避けるための**「生きる知恵」**でもあったのです。

結果として、その知恵が生んだ「冷たいコーヒー」は、
やがてヨーロッパへ逆輸出される魅惑の嗜好品となっていきました。


💡 ロブスタ種と現代の再発見

時代が下り、19世紀にはロブスタ種(苦味とコクが強い豆)が登場。
それはかつてのアラビカとは違い、タフで、大量生産に向いた品種でした。

このロブスタが、現代のダッチ抽出と出会うことで、
苦味をまろやかにし、チョコのような余韻を生む新たな表現が生まれています。

つまり、**ダッチコーヒーは進化を続ける「古くて新しい芸術」**でもあるのです。


📜 最後に——一滴にこめられた時間の旅

ティアレは思います。
一滴一滴のコーヒーには、
遠い国の風、航海の記憶、そして人々の工夫と祈りが詰まっているって。

現代のガラス器具がきらめく中で、ふと思い出してみてください。
あの一滴は、海を渡った冷たい夢なのかもしれません。


次回予告
「氷と風の中の贅沢——日本における水出しコーヒー文化の発展」も予定しています♪




プロフィール
この記事を書いた人
ありさんと ありんこ

コーヒー大好きなありさんとありんこが
コーヒーと自家焙煎珈琲の魅力をゆるーく紹介します。
たまにコーヒー店めぐりをしたり。
手しごとは
ありんこがアートフラワーの魅力を
ありさんがクラフトバンドの魅力を
それぞれ紹介する
そんなブログです。

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